卒業生の声山口 祐一郎 さん

私の場合、全てが楽しく心地よい思い出ばかりです。
卒業したばかりなのに、科目等履修生になり、またグローバルなリーガルマインドの世界に揺蕩たいと願ってしまうのですから。

山口 祐一郎 さん
  • 入学:2013年4月(1年次入学)
    卒業:2023年3月
    就学時:50歳代
    職業:俳優
    居住エリア:東京都在住
    (2023年9月掲載)

法律を学ぼうと思ったきっかけを教えてください。

「ほうてきには、きみはやまぐちくんじゃないんだよ」
「ほうてきってなんだろう?」
「なぜやまぐちくんじゃいけないんだろうか?」
昭和36年最初の協議離婚親権者は父親。昭和37年、相手方の同意を得ない子の連れ去りにより母の元へ。この時私は5歳。その後、調停により昭和39年親権者は母親となる。この3年間、ときとして自分の名前を書き直させられる。提出したテストの名前を消しゴムでゴシゴシ、やまぐちをゴシゴシ。「ほうてきってなんだろう?」これが僕の「ほう」とのはじめての意識的出会い。また、法に関心を持った動機は、今日のハラスメント対策として行われているリスペクト・コミュニケーション研修における事例の殆どを体験しており、この情況をより良くしたいと考えていたからだと思います。そして、法律を学ぼうと思った直接のきっかけは、10年前に1年間の仕事がキャンセルになったこと。当時は会社を立ち上げて20年目、様々なトラブルを顧問弁護士と共闘しながら解決しましたが、もう少し私自身が法を知ることで、より良い対応が出来るのではと考えていた時期でした。そこに突然1年間の時間がポンっと現れたのです。法律を学ぶのは今だ、と思った時、偶然立ち寄った書店にあった中大通教の入学願書。それを手にしたのはいま思えば必然だったのでは、と卒業証書を見ながら思わず微笑んでいます。

中大通教を選んだ決め手は何ですか?

 恋人に「私を選んだ決め手は何?」と尋ねられて、皆さんはどう答えるのだろうか。入学願書の中にあったアンケートに、入学の目的は何ですかとあった。私は生涯学習の項に印をつけた。そして10年後、「生涯学習の理念を実践されその努力を讃えます」とあなた様から表彰状を頂いた。100通以上の恋文(レポート) を送り続け、遂に私の恋文以外の返事が来た。そのあなた様にあなた様を選んだ決め手を答える。照れるなぁ~。先ず佳人(法科の中大) だから。また、魅力的 (学習システムが完備洗練されている) だから。そして、なにより入学して実感することですが、その居住まいから感じる温かいお人柄 (具体的には後の問で書きます) 等でした。

在学中に印象に残っている出来事を教えてください。

 レポート添削について。英語のレポートに対し指導票のコメントに加えて、A4ノート10頁分にも及ぶN先生の添削。稚拙なレポートにこれ程までに時間とエネルギーを注いでくださる。感動と同時に仕事のキャンセルでポッカリ空いた心に何か温かいものが流れ込んで来るようでした。ありがとうございました。また、多くの先生方にも励ましのお言葉を頂きました。倒産処理法ではK先生から「この調子で、さらなる飛翔を遂げるように祈念しております」とのお言葉を頂戴いたしました。先生からこんなお言葉を頂いたら、ヨッシャーと高齢者の私にも元気が湧き上がります。ありがとうございました。このまま続けると紙面が足りなくなります。ホントに本当に、10年間あたたかい沢山の励ましのお言葉を頂きありがとうございました。

 スクーリングについて。生まれて初めて、教科書の著者から直接講義を受けるという貴重な経験をいくつも積むことが出来ました。これによって入学後3年目頃から400~500頁の教科書を開くと自動的に著者の声が聞こえて来るようになり (根拠のない妄想かもしれませんが) 楽しかった学習がより面白いものへと変化したことは自分でも驚きでした。そして全国各地でのスクーリング。八王子キャンパスでは地響きのような (少々大袈裟ですね) 蝉の鳴き声にびっくりしました。京都の真夏の体育、激しい運動だったらと心配しましたが太極拳だったので私もなんとか無事に生還できました。何もかも楽しい思い出ばかりです。ありがとうございました。

学習がうまく進まなかったときや、困難に直面した時に、どのように乗り越えましたか?

 学習 (レポート合格・科目試験合格・スクーリング単位の修得) がうまく進まなかったときという実感はありません。これは初年度に充分な時間があり、ある一定程度の成果を出せたからだと思います。しかし、2年目からは仕事が通常のスケジュールに戻り、つまり、年4回の科目試験日のうちほとんどが、私が舞台上に立っている日と重なってしまったのです。これを困難に直面した時とすれば、どう乗り越えたのか。仕事優先、不可能なことは諦める。少しでも可能性があればしがみつく。出来ることは少量であっても継続する。時間ができれば集中して処理する。ヘトヘトになったら充分に休養をとる。ただし、規則正しい生活からは逸脱しない範囲で。これらの条件のもと学習を日常生活の一部に落とし込むことが出来た。それが乗り越えられた要因のひとつだと思います。そして、なにより先生方や事務局の方々の丁寧で温かい対応や励まし。実は前者よりこちらの方が大きな要因だったかも知れません。

お仕事と勉学を両立されながら、10年間の在籍期間を経て卒業されました。卒業に向かって継続するための原動力となったことや、モチベーションを維持できた理由について教えてください。

 学習を継続するための原動力となったことは、学習がいつの間にか変容して単に楽しい面白い時間になってしまったことだと思います。困難に打ち勝つために乗り越える力が必要になる。ところが困難そのものが魅力的な存在になれば、放置しておいても人はそのために時間とエネルギーを使う。幸いなことに、私にとって通教での学習は、知識を系統的に心身を労して学ぶことではなく、グローバルなリーガルマインドの世界で心身を弾ませ愉快に過ごす時間となっていたようです。

 モチベーションを維持できた理由は、人の優しさ、温かさ、善意に基づく峻厳さ、そして努力の可視化。これらを全て兼ね備えた存在が激変する現代社会のなかにあって、自分を育てて下さる。まるで胎児の様に脈打つかぎり成長し、やがて誕生する。こうした存在に邂逅した。この幸運に尽きると思います。

中大通教で体系的に法律を学んだことで、ご自身に変化はありましたか?また、お仕事や日常生活にどのようなメリットがありましたか?

 体系的に法律を学んだことによる自分の変化は、20世紀の法から21世紀の法へ。大航海時代前の海図から後の海図へ。勿論不変のものもありますけれど。なんだかクラシックカーのエンジンが突然新品になったような感覚です。なんとも不具合なエンジンのひとつだったあの『危険負担』(法律用語)が見直されたなんて。こんなことが次から次へ。エンジンだけではなく細部にいたる小さなネジまでどんどん新しくなるクラシックカー。通教の毎日は、自分が日に日に新品になるようで爽快でした。

 仕事や日常生活でのメリットは、時々のトラブルに対して顧問弁護士や会計事務所の方と検討する際、以前よりスムースになったことです。あまりに私は無知でした。ただし、東欧やロシア(開戦後は取引停止)でのスタジオ及びミュージシャンとのトラブル解決には法ではなく現金であることに変化はありません。もっとも、形式的には契約に則りますが、それ以外が。穢のない通教時代が懐かしくなります。

今後の夢や目標を教えてください。

 いま少年の頃夢見た世界に生きています。この虚構の世界に住むことが私の目標でした。欲深い私ですが、ようやく足ることを知るようになりつつあるようです。それでも、もし、夢や目標があるとしたら、同じ夢や目標を持つ若人たちに少しでも何かお手伝いできればと思っています。夏のスクーリングの折に、どこからか元気に開口のトレーニングをしている声が聞こえて来たとき、ふと、劇団時代を思い出し懐かしんでいる自分に気付きました。そして、夢に向かって汗を流している自分を陰日向になって支えて下さった多くの方々の系譜に私も参加できればと願うばかりです。

入学を検討している方にメッセージをお願いします。

 私の場合、全てが楽しく心地よい思い出ばかりです。卒業したばかりなのに、科目等履修生になり、またグローバルなリーガルマインドの世界に揺蕩たいと願ってしまうのですから。自分が経験した魅惑的な世界。それをあなたに薦めない理由はない。しかし、劇場に足を運ばなくても人は生きて行ける。劇場より楽しいことはいくらでもある。劇場より大切なことがほとんどである。ただし、人生一度の観劇がその人の人生を大きく変える契機となることもある。これは事実です。みなさんのご健闘を祈ります。