沿革 明治18年(1885年) 英吉利法律学校創設中央大学の前身・英吉利法律学校は、24~32歳の青年法律家、学者ら18人のメンバーによって創設された。初代校長は、イギリスのミドル・テンプルで学んだ増島六一郎が就任。 校外生募集と『講義録』発行英吉利法律学校は開校と同時に、遠隔地にいて通学できない学生たちのために校外生制度を設けた。校外生には『講義録』が送られた。 明治22年(1889年) 東京法学院と改称東京法学院と校名を改称する。前年には新校舎が落成。ミドル・テンプルを模した赤レンガの2階建で、当時の学校としてはたいへんモダンな建物であったといわれる。 明治24年(1891年) 『法学新報』創刊『法理精華』を明治22年に創刊し、イギリス法学派の中心となったが、発禁処分となる。翌年『法学新報』を発行し、現在まで引き継がれている。 明治38年(1905年) 中央大学と改称明治36年に東京法学院大学と改称した後、経済学科を設置し、中央大学と改称する。4年後には商業学科を新設する。 大正9年(1920年) 大学令による設立認可大学令により設立認可。法学部・経済学部・商学部、大学院、大学予科を設ける。 昭和23年(1948年) 通信教育部開設校外生制度の伝統を受け継ぎ、大学教育を社会に開放する目的をもって通信教育部を開設する。入学希望者は10日間で1万人にのぼった。 昭和24年(1949年) 新制大学設置認可既設の法・経済・商学部が新制大学として認可される。これに加え、工学部(のちに理工学部)を設置する。2年後には、文学部と新制大学院を新設。 『白門』創刊と夏期スクーリング開講通信教育部は、法学部通信教育課程となり、4月に機関誌『白門』を創刊し、7月に夏期スクーリングを開講した。 昭和53年(1978年) 多摩キャンパス実現法・経済・商・文学部の文系4学部がそろって、多摩キャンパスで授業を開始。同キャンパスは広大なスケールで教育・研究環境の飛躍的発展をはかる施設となった。2年後、通信教育部も同キャンパスに。 昭和60年(1985年) キャンパス外スクーリング実施現在の短期スクーリングを実施する。この年は3科目であったが、翌年以降開講科目数を拡大している。 平成10年(1998年) 通信教育部創設50年全国各地で記念式典を行うとともに、マルチメディア教材の開発など、21世紀に向けた新しい通信教育部の幕開けとなる。 平成15年(2003年)4月 リアルタイムスクーリング 開講多摩キャンパスと大学の指定する遠離地をテレビ会議システムにより結び付け、同時かつ双方向に授業を進行する「リアルタイム型メディア授業」(現 リアルタイムスクーリング)が開講された。 平成17年(2005年)4月 オンデマンドスクーリング 開講リアルタイムスクーリングを収録のうえ編集し、「オンデマンド・コンテンツ」をweb上で配信することにより、「オンデマンド型メディア授業」(現 オンデマンドスクーリング)が実現した。